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国産若牛

今日の新聞のテレビ欄横に、「国産若牛」の広告が載っていた。

なんでも、「食べてもらおうキャンペーン」中で、対象商品についているシールを集めると、「若牛クンぬいぐるみ」なるものが当たるらしい。

牛を食べて、牛のぬいぐるみをもらう……。なにやら倒錯的なものを感じる。

しかもこの若牛クンぬいぐるみ、顔はムーミン的な愛らしさにデフォルメされているのに、耳にバーコード入りのタグなんか付けてたりして、変なところでリアルだったりする。

ちなみに、若牛クンぬいぐるみには大小2種類あって、大きいほうは全長1メートルとけっこう大きい。小さな女の子が「モーカワイイ」とか言って、うれしそうに乗っている写真もある。

なんだか妙な空気を感じる、ちょっとおもしろい広告だった。
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by csiumd | 2006-10-23 00:01 | よもやま話

カポーティ

せっかく伝記も読んだことだし、映画『カポーティ』を観に行った。重かった。ズシンと堪えた。帰りに買い物でも、と思っていたが、とてもそんな気分ではなくなった。

この映画がどこまで真実なのかは、わからない。カポーティがどんなつもりで、どんな思いを持って『冷血』を書いたのかは、本人にでも聞かないかぎり、ほんとうのことなどわかるはずがない。この映画は、ひとつの解釈を示しているにすぎない(といっても、カポーティの心の内をはっきりとは示さず、解釈はあくまでも観る者に委ねるという感じだが)。それでも、この映画を観てしまったら、もう前と同じ気持ちでは『冷血』を読めないだろうと思う。

もちろん、『冷血』の価値が損なわれたというのではまったくない。ただ、どうしても小説の裏側に、カポーティの無意識の悪意や葛藤を探しながら読んでしまうような気がする。映画のなかのセリフにもあったが、「冷血」っていったい誰のことなんだろう。殺人犯たち? 彼らに近づくカポーティ? それとも、そうしてできた小説をおもしろいと思って読む私のことか?

いますぐには読む気になれないが、しばらくしたら、もういちど『冷血』を読んでみたい。これまでとはまったく違うものが見えてくるかもしれない。
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by csiumd | 2006-10-18 20:00 | 映画

噫無情

紀伊國屋に行ったら、『巌窟王』が平積みになっていた。なぜいまさら? と思ったら、世界名作名訳シリーズという歴史的名訳を発掘するシリーズの最新刊らしい。

この『巖窟王』は戦前に黒岩涙香という人が訳したもので、旧漢字、旧仮名が使われている。登場人物も日本語化されていて、たとえばエドモン・ダンテスは「團友太郎」(友次郎だったかも?)となっている。ものすごくおもしろそうだけど、なにしろ高いので、なかなか買う勇気が出ない。さんざん悩んだすえに、少しだけ安かった同じシリーズで同じ訳者の『噫無情』を買うことにした。で、これが最高におもしろかった。

まずおもしろいのが、登場人物たちの名まえ。ジャン・ヴァルジャンは「戒瓦戒」(ぢやん・ばるぢやん)。ファンティーヌとコゼットは「華子」と「小雪」。マリユスは「守安」(もりやす)。テナルディエは「手鳴田」(てなるだ)。ジャヴェールは「蛇兵太」(じやびやうた)。これ絶妙。ジャヴェールのキャラにぴったり。

いちばん笑ったのは、ポンメルシーの「本田圓」(ほんだまるし)。「メルシー」→「マルシー」→「円し」→「圓」となったのだろうが、真面目なのかふざけてるのかよくわからない。まるしって……。あと、エポニーヌとアゼルマの「疣子」(いぼこ)と「痣子」(あざこ)はないと思う。いくらテナルディエの娘だからって、それはあんまりな。

名まえの話はこれくらいにするとして、この訳、とにかくリズムがいい。講談的というか。ためしに音読してみたら、文章がぽんぽんとつながっていく感じで、すごく心地いい。語りの名人に朗読させたら、さぞかしおもしろいのではないか。

たとえば、別人がジャン・ヴァルジャンとして捕まって、当時マドレーヌ市長だったヴァルジャンが名乗り出るべきか否かと悩むところなんかは、普通の訳で読んだときには「もういいかげん、アミダかなんかで決めちゃえよ」と思うくらい長々と苦悩していたような記憶があるが、この訳だと、どんどん前へ進む。

といっても、文章そのものも短く刈り込まれているような気はする。少なくとも、筋と関係のない部分はまちがいなく削ってある。ワーテルローの戦いの話とか、パリの下水道がどうのこうのというところとかは、かなりばっさりカットされている。過剰な脱線は『レ・ミゼラブル』の魅力のひとつで、個人的にも好きなところだが、この文体でそれをやるときついかもしれない(いや、意外とおもしろいか?)。

それから、全体的にドラマチック度がアップしている。たとえば、安下宿の一室でジャン・ヴァルジャンとテナルディエが対決する場面。ちょっと引用すると、
此時手鳴田は、早や妻から人切包丁を受取り、最後の恐に打勝て将に白翁の頭を切割ふとする寸秒の時であツた

ってところとか、なんだかものすごい。確かにハラハラするところではあるが、ここまで生々しくなかったような。人切包丁っていう字面が怖い。

もうひとつ挙げると、合いの手的な文章も多い。「さあ、どうなる」とか「いったいこいつは誰なんだ」とか「きみはほんとうにそれでいいのか」みたいな。こういうのって、もともとあったっけ? なんだか、訳しているというよりも、子どもか誰かに読み聞かせながら、ついでに感想を差し挟んでいるような雰囲気がある。

ともあれ、こんなすばらしいシリーズが刊行されているとは知らなかった。『巖窟王』は図書館にリクエストを出してあるが、自分で買ってもいい気になってきた。6000円を出す価値はじゅうぶんにある。ちなみにこのシリーズ、既述の2作のほかに、上田萬年訳『新譯伊蘇普物語』(新訳イソップ物語)が出ているらしい。今後の刊行に期待。
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by csiumd | 2006-10-13 17:04 |

風の影

カルロス・ルイス・サフォンの『風の影』。

おもしろいらしいという評判は聞いていたし、アマゾンのおすすめ機能でも英語版を再三おすすめされていたので、気になっていた小説。けど、スペイン語の本を英訳で読むのも癪だから、日本語訳が出るのを待っていた。そしたらいきなり文庫で出版されていて、あやうく見逃すところだった。安上がりなのは助かるけど。

書店主の息子ダニエルが、「忘れられた本の墓場」でフリアン・カラックスなる作家の書いた小説『風の影』と偶然出会い、その魅力にとりつかれ、作家の正体を知るべく足跡をたどっていく、というストーリー。

フリアンの謎を追うダニエルをめぐる物語に、フリアンの数奇な人生の物語が絡まりあって展開していくのだけど、単なる過去の謎解きではなく、奇妙に重なりあう出来事が起きたり、ふたつの物語がもつれあって互いを変えていったりするところが、この小説を濃厚なものにしている、と思う。

この小説には、「忘れられた本の墓場」とか、ヴィクトル・ユゴーの万年筆とか、人生を変える本とか、本好きの心をくすぐる要素がぎゅうぎゅうに詰めこまれている。きっと、作者も本が好きな人なのだろう。「忘れられた本の墓場」、行ってみたいよなあ。

それにしても、ミケルが不憫でしかたがない。いい奴なのに。あれじゃ哀れすぎる。あんまりだ。だいたい、フリアンという人はなんであんなに……なんて言っても詮のないことなので、やめておく。
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by csiumd | 2006-10-04 19:26 |