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妖怪暦

本屋をうろうろしていたら『必携妖怪暦』なるものが目に入り、ついふらふらと買ってしまった。

なんでもこれ、水木しげる氏が会長を務める世界妖怪協会公認のスケジュール帳らしい。妖怪祭礼暦、妖怪関連史年表、旧国名地図……など、スケジュール管理にはさっぱり役に立たない資料が満載。

妖怪関連史年表には、「1333年 紫宸殿の上で鵺が鳴く」とか「1736年 狢が老人に化けて駕篭で旅をするが、途中で犬に殺される」とかいうわけのわからない項目が並んでいる。ほんとですか、これ? 

あと、1週間にひとつずつ、水木しげる名言録が載っていて、これがとにかく楽しい。たとえば、「妖怪は電気がついたらダメなんです。ぎりぎり20ワットくらいまで」。うーん、なるほど。ためになる。
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by csiumd | 2005-11-29 20:07 |

Ghost Town

パトリック・マグラアの新作『Ghost Town: Tales of Manhattan Then and Now』を読んだ。あいかわらず、鬱々とした話を書く人だ。

暗くてじめじめした地下室とか、うらさびしい古びた屋敷とか、カラスが飛び交う墓場とか、その手のものが、この人の小説にはそれはもうよく出てくる。空はいつもどんより曇っていて、しょっちゅう冷たい雨が降り、太陽がさんさんと輝いていたりすると、かえって悪いことが起きるような気がするほど。しかも、登場人物はかなりの確率で精神を病んでいる。

中篇3つを収めた今度の作品もその例にもれず、たとえば「The Year of the Gibbet」では、コレラが蔓延して死の街と化したニューヨークで、語り手が母親の頭蓋骨を目の前に置きながら、その母親が絞首刑になったいきさつを回想したりする。

そんな陰惨な話ばっかりなのに、なんか楽しいのがこの人の小説の不思議なところ。騙される快感、みたいなものがある。

一人称で語られる小説の場合、その内容がどんなに突飛でも、語り手が(その小説世界での)事実を語っているという前提で読む。たとえば語り手の「僕」が「日本の井戸の底がモンゴルにつながっていた」と言えば、現実の世界では「そんなわけあるか!」と思うようなことでも、まあ普通は事実としてすんなり受け入れる。

ところがマグラアの小説では、語り手の言うことはまったく信用ならない。最初は何も問題ないように見えて、理知的な印象さえあるんだけど、読みすすめていくうちに、あれ? この人の言ってること、なんかおかしくない? という不信感がわいてきて、やがて語り手が妄想や思い込みで、あるいは事実を都合のいいように解釈して話をしていることがわかってくる。この、どこか足元をすくわれて立ち位置を見失うような感覚が、けっこう病みつきになる。

そんなふうにさんざん騙されているので、マグラアの小説を読むときには、ついつい「この人、ほんとのこと言ってんの?」と語り手を疑ってかかる癖がついてしまった。

今度の中篇集は、何が事実で何が妄想なのか、誰が正気で誰が狂っているのか、という境がどれもすごくあいまい。というか、どっちかと言えば、みんな狂っているように見える。

とくに印象的なのが、精神科医がある患者の恋愛問題を語る「Ground Zero」。普通に考えたらおかしいのは患者のはずなんだけど、精神科医のほうも負けず劣らずおかしい。いや、むしろ精神科医のほうがおかしい。

しかも、ただ個人的におかしいだけじゃなくて、9.11以降、ニューヨークが、さらに言えばアメリカ全体がパラノイアみたいになっていって、でも誰もそれを「狂気」とは自覚していない現状がこの精神科医に映し出されていて、すごくリアル。結局、いまの世界は誰もが病んでいるということなのかもしれない。あー恐ろしい。
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by csiumd | 2005-11-25 20:01 |

盲導犬

昨日乗った電車の向かいの席に、盲導犬が乗っていた。ものすごくかわいいラブラドル・レトリーバーで、座席の下にもぐりこんで寝そべっていた。

連れの人はぐっすり眠っていて、犬のほうも眠たそうに目を開けたり閉じたりしていたが、その様子がなんともおかしい。

「むむ、ね、眠い。しかしここで眠っては名盲導犬の名がすた……(ここでまぶた落ちる)……ハッ! いかんいかん。耐えろ、ジョン(仮名)、耐えるんだ。むー、それにしても眠い……(むにゃむにゃ……)」

……とまあ、ほんとうにこんなことを考えていたかどうかはわかりませんが、勝手にナレーションをつけていたら、あっという間に目的地に着いてしまった。楽しかった。
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by csiumd | 2005-11-20 20:12 | 出来事

仕掛け絵本

今日の朝日新聞に、仕掛け絵本が大人気、という記事が載っていた。

この記事で「紙の魔術師」と呼ばれるロバート・サブダの作品が紹介されていたけど、実はうちにも、サブダの『オズの魔法使い』と『不思議の国のアリス』の洋書版がある。

この2冊は、仕事で訳した書評に惹かれて買ったんだけど、その仕事のギャラよりも高くついた。が、それに見合う価値はじゅうぶんにあると思う。

とくに『オズの魔法使い』はすごいとしか言いようがない。子どものころ、こういう仕掛け絵本を「飛び出す絵本」と呼んでたけど、これはもう、飛び出すなんていう生やさしいものではない。竜巻はぶわっと走るわ、気球はぐるんぐるん回るわで、完全に本の域を超えている。

ちなみに、この本を当時1歳くらいだった甥っ子に見せたら、竜巻に怯えてべそをかいていた。トラウマになってなきゃいいけど。

それにしても、あの紙の畳み方とか配置の仕方って、どうやって設計してるんだろ。頭がこんがらからないのだろうか。常人には想像もつかない。サブダさんとお知り合いになって、制作現場を拝見してみたい。

サブダのポップアップ絵本は、この2冊のほかにもクリスマスっぽい作品がいろいろあって、写真で見ただけだけど、それもすごくきれい。でもどうせなら、名作童話をかたっぱしからポップアップ化して、ぎょっとするようなものを飛び出させてほしい。『長靴をはいた猫』とか『ジャックと豆の木』なんて、おもしろいんじゃないかな。

おおざっぱなイメージだけど、西洋の童話って、おもちゃ箱をひっくり返したみたいな雰囲気があって、ポップアップにぴったりとはまる。で、日本の名作童話も仕掛け絵本にしたらどうだろう、と思っていろいろ想像してみたけど、どうもしっくりこない。

『銀河鉄道の夜』なんかはけっこう楽しそうだけど、『ごんぎつね』なんかになると、まったくイメージが湧かない。何を飛び出させたらいいの? ごん? 兵十? うーん、どうもなぁ……。新美南吉は大好きだけど、ポップアップには向いていないかもしれない。小川未明も向いてなさそうだなぁ。

文化の違いって、こういうところにも出るのかもしれない。おもしろい。
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by csiumd | 2005-11-10 17:15 |

The Kite Runner

夏の初めに買ったまま、すっかり忘れていた『The Kite Runner』をようやっと読んだ。これ、すごくよかった。忘れたりしてほんとすみません。

『The Kite Runner』は、Khaled Hosseini (なんて読むの?)という米国に亡命したアフガニスタン人が英語で書いた小説、というなんとも込み入った本。ごくごく簡単にまとめれば、子どものころに友人を手ひどく裏切ってしまった主人公が、良心の呵責を感じながらその後の人生を生きる、という話。

話の展開としては納得いかない部分もなくはないけど、背景的なところで心に残るものがたくさんあった(話自体もテンポがよくて、けっして悪くはなかったけど)。

パシュトゥーンのハザラに対する差別意識とか、米国へ亡命したアフガン人の生活の苦しさとか、ソ連侵攻以後のアフガンの変わりようとか、そういう今までぜんぜん知らなかったことや、情報としては知ってたけどイメージがいまひとつ湧かなかったことが、確かな手触りを持って浮かび上がってきた。

とくに印象深かったのが、主人公 Amir (アミル?)が生まれ育った、「爆弾と銃撃の音しか知らない耳を持つ子どもたちがまだ生まれていない」頃のアフガニスタンの様子。

カブールの街や生活の描写がほんとうに生き生きしていて、ひとつひとつの情景がまるで絵のよう。雪に覆われた街の空に色とりどりの凧が舞う凧あげの光景なんて、見てもいないのに目に焼きついている。

でもそのぶん、ソ連侵攻、内戦を経たアフガンの変わりようが胸にこたえる。米国亡命後に故郷を再訪した主人公ともども、読んでいるこちらも愕然としてしまう。しかもこの点はフィクションではなく、現実に起きていることだというのがいっそうつらい。

こういうのを読むと、小説ってほんとにすごいんだなあと思う。マスコミの報道よりも何倍、何十倍も多くのことを、たった1冊で伝えられるんだから。まあ、この意見には、小説好きの贔屓目が多分に入っているかもしれないけど。

小説好きのひとりとしては、小説の持つ力はマスコミの力よりも強いと信じたいのです。
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by csiumd | 2005-11-03 20:28 |