神器――軍艦「橿原」殺人事件

ずいぶんと久しぶりのような気がする奥泉光の新作『神器――軍艦「橿原」殺人事件』(上、下巻)。『グランド・ミステリー』と『浪漫的な行軍の記録』を合わせてスケールアップさせたような内容。この人の小説ではおなじみのロンギヌス物質なんかも登場し、雨宮博士の名前もちらっと出てくる。奥泉光独特のユーモラスな語り口も楽しめるし、これまでの集大成的な大作という印象を受ける、たいへん読みごたえのある作品だった。

時は太平洋戦争末期、軍艦「橿原」で起きた殺人事件をめぐる物語。ミステリー好きの上等水兵の一人称で語られる序盤は、ところどころで妙な雰囲気がまぎれこんでいるものの、おおむね軍記仕立てのミステリーといったおもむきで進んでいく。

ところが上巻の後半、ドッペルゲンガーやら鼠になった人間やらが出てくるあたりからおかしくなりはじめて、下巻の終盤はもう完全に狂気とカオスの坩堝。ミステリーだと思って読んでいたら、いつのまにか周囲の世界が崩れて、気がついたらひずみに引きずりこまれていた、という感じだ。

序盤の「殺人事件」の謎解きは、終盤の混乱のなかでいちおう提示されるのだが、謎が解けた爽快感はまったくない。というのも、それを取り巻くカオスがあまりにも大きすぎて、もはやそんな瑣末な「謎」など問題ではなくなってしまうからなのだが、そこがとてもおもしろいし、すごいと思う。

「橿原」は最終的に狂気とカオスに飲みこまれるわけだが、それをしょせんフィクションだと言いきれないのがおそろしい。まるで、いまの日本が「橿原」で、破滅に向かって海原をひたすら進んでいるような錯覚に陥る。読んでいるあいだは、複雑にねじれる展開についていくのが精一杯であまり考えをめぐらせる余裕もないのだが、読み終わってからふと反芻したときに、第2次大戦の犠牲の意味とかいまの日本の姿とか集団の狂気とか、そんなことを考えさせられる。

物語はクライマックスで狂気をきわめた感があるのだけども、それでも「生き残る者たち」と題されたエピローグには希望が残されている。雲間から一条の光が差すようなこの幕切れは、とても深く心に響く。ああ、読んでよかった、と思わせるラストシーンだった。
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by csiumd | 2009-02-05 15:57 |
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