小野正嗣の『マイクロバス』。前に読んだ『森のはずれで』よりもさらによかった。
表題作「マイクロバス」と「人魚の唄」という中篇の2本立て。2本とも同じ寂れた漁村が舞台で、アサコ姉という人物が登場するけれど、内容としてはまったく独立した作品。どちらの話にも、閉鎖的な村の空気のようなものが濃厚に漂っている。といっても単なる閉塞感ではなく、良いとか悪いとか、愛とか憎とかがどろどろに溶けて渾然一体になって、もはや見分けがつかなくなっている感じ。なんとなく、中上健次の小説を読んだときの感覚と似たものを感じた。 「マイクロバス」は口のきけない青年・信男が海岸線に沿ってひたすらマイクロバスを走らせる話。信男は口がきけないだけでなく、感情もいっさい表に出ない。それを悲観した両親は、信男を豚小屋に放りこんだり、入水自殺を図ったりしたらしい(たぶん。はっきり語られないから本当のところはわからない)。 そんな幼いころの思い出を、信男はバスを走らせながら回想するわけだけど、この回想の割りこみかたがまた複雑で、だんだんどれが過去なのかどれが現在なのか、なにが本当にあったことでなにが幻なのかがわからなくなってくる。そのうえ、土地そのものに染みついている「記憶」のようなものまで入りこんできて、まさに入り組んだ海岸線に沿って走るバスに酔ったように頭がくらくらしてくる。この否応なしに引きずりこまれていく感じがすごかった。 「人魚の唄」は、自分は人魚だと信じているナオコ婆を介護するヘルパー・セツコの話。これもすごくよかった。自分はもうすぐ海に帰る人魚だと信じている老婆とか、漁師ツル兄の生まれ変わり(と村人に言われている)ウミガメとか、不思議な人たちが出てくるが、「非現実的」な話ではまったくない。この作品もまた現実とそうでないものとの境界があいまいで、「マイクロバス」が車酔いなら、この「人魚の唄」は船酔いのような目眩をおぼえる。 セツコの心のうちとか、ナオコ婆が何を思っていたのかとか、ウミガメは本当にツル兄なのかとか、ナオコ婆とツル兄の関係とか、肝心なことはけっしてはっきり書かれない。そんなあいまいでゆらゆらとした雰囲気なのに、感情や記憶や土地のしがらみのようなものを強烈に感じさせるところが、なんとも言いようのない不思議な作品だと思う。とても好きだ。 「人魚の唄」では、不覚にも最後で涙腺がじわっときてしまった。なんだか最近、涙もろくなっているような気がする。年のせいか?
by csiumd
| 2008-09-26 13:23
| 本
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