宿屋めぐり

こちらも首を長くして待っていた、町田康の新作長編『宿屋めぐり』。「また、どえらい小説書いてきたな」という感想に尽きる。

先日読んだ『四人の兵士』とは反対の方向へ突き抜けている小説だ。『宿屋めぐり』の語り手は、それはもう饒舌にべらべらべらべらとよく語る。しかし、あれほど饒舌に語っているにもかかわらず、というか、饒舌に語れば語るほど、何が嘘で何が真実かが見えなくなっていき(何もかも嘘に思えてくる、と言うべきか)、周囲とのコミュニケーションもどんどん断絶していくところがおもしろい。しかも、そんなふうに口先ばっかりでべらべらしゃべっているようでいながら、実は世間や自分自身の偽善がこれでもかというほど容赦なく暴かれていく、というところが、さらにおもしろいと思う。

主の命を受けて大権現に太刀を奉納するべく旅をする鋤名彦名が、いろいろとたいへんな目(たいへんどころではないかもしれない)に遭う、というのが、この小説のおおまかな筋。鋤名彦名はその道中、ことあるごとに「主はああ言っていた」「主は誰々にこんな制裁を下した」と回想し、みずからの行為を省みたり、できごとの意味を探ったりする。ここで鋤名彦名が言う「主」からは、キリスト教的な「主」が容易に連想される。「善行はこっそりおこなえ」とか「光にいたる道は狭い」とか、いかにもそれらしいことを言ってるし。

ところがこの「主」という人がまた曲者で、ありがたそうな立派なことを言うかと思えば、極悪非道な残虐行為も平気でする。たこ焼きのくだりなんて、残酷きわまりない。もっとも、聖書に出てくる「主」も相当無茶なことをしているので、そう考えると聖書を正しく踏んでいると言えないこともないのかもしれない。町田康的に聖書を語り直したら、こんな感じになるのだろうか。しかし、結局のところ「主」とは何者なのかは、最後までわからない。というか、最後の最後でわからなくなる。一筋縄ではいかない小説だ。

それにしても、町田康の言語感覚って、いったいどうなっているのだろうか。なにからなにまで鍋にぶちこんでごった煮にしたような文章もすごいが、「卵家ポロワ」とか「酒坂石ヌ」(これなんて読むの?「ヌ」ってなによ?)とかいう人名は何をどうしたら出てくるのか。いちど頭のなかを覗いてみたいものだ。
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by csiumd | 2008-08-18 16:11 |
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