パトリック・マグラアの新作『Ghost Town: Tales of Manhattan Then and Now』を読んだ。あいかわらず、鬱々とした話を書く人だ。
暗くてじめじめした地下室とか、うらさびしい古びた屋敷とか、カラスが飛び交う墓場とか、その手のものが、この人の小説にはそれはもうよく出てくる。空はいつもどんより曇っていて、しょっちゅう冷たい雨が降り、太陽がさんさんと輝いていたりすると、かえって悪いことが起きるような気がするほど。しかも、登場人物はかなりの確率で精神を病んでいる。 中篇3つを収めた今度の作品もその例にもれず、たとえば「The Year of the Gibbet」では、コレラが蔓延して死の街と化したニューヨークで、語り手が母親の頭蓋骨を目の前に置きながら、その母親が絞首刑になったいきさつを回想したりする。 そんな陰惨な話ばっかりなのに、なんか楽しいのがこの人の小説の不思議なところ。騙される快感、みたいなものがある。 一人称で語られる小説の場合、その内容がどんなに突飛でも、語り手が(その小説世界での)事実を語っているという前提で読む。たとえば語り手の「僕」が「日本の井戸の底がモンゴルにつながっていた」と言えば、現実の世界では「そんなわけあるか!」と思うようなことでも、まあ普通は事実としてすんなり受け入れる。 ところがマグラアの小説では、語り手の言うことはまったく信用ならない。最初は何も問題ないように見えて、理知的な印象さえあるんだけど、読みすすめていくうちに、あれ? この人の言ってること、なんかおかしくない? という不信感がわいてきて、やがて語り手が妄想や思い込みで、あるいは事実を都合のいいように解釈して話をしていることがわかってくる。この、どこか足元をすくわれて立ち位置を見失うような感覚が、けっこう病みつきになる。 そんなふうにさんざん騙されているので、マグラアの小説を読むときには、ついつい「この人、ほんとのこと言ってんの?」と語り手を疑ってかかる癖がついてしまった。 今度の中篇集は、何が事実で何が妄想なのか、誰が正気で誰が狂っているのか、という境がどれもすごくあいまい。というか、どっちかと言えば、みんな狂っているように見える。 とくに印象的なのが、精神科医がある患者の恋愛問題を語る「Ground Zero」。普通に考えたらおかしいのは患者のはずなんだけど、精神科医のほうも負けず劣らずおかしい。いや、むしろ精神科医のほうがおかしい。 しかも、ただ個人的におかしいだけじゃなくて、9.11以降、ニューヨークが、さらに言えばアメリカ全体がパラノイアみたいになっていって、でも誰もそれを「狂気」とは自覚していない現状がこの精神科医に映し出されていて、すごくリアル。結局、いまの世界は誰もが病んでいるということなのかもしれない。あー恐ろしい。
by csiumd
| 2005-11-25 20:01
| 本
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