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サラエボのチェリスト

スティーヴン・ギャロウェイの『サラエボのチェリスト』。心を深く揺さぶられる、ほんとうにすばらしい小説だった。

舞台はボスニア内戦時の包囲戦のさなかのサラエボ。パン屋の行列を襲った迫撃砲弾の犠牲になった22人のために22日間〈アルビノーニのアダージョ〉を弾きつづけるチェリストと、包囲されたサラエボの街で生きる男女3人の物語。

射撃の腕を買われて心ならずも防衛側の狙撃手になったアロー。家族のために遠方のビール工場まで水汲みに出かけるケナン。妻子を疎開させてひとりサラエボに残ったドラガン。それぞれの毎日を送る3人が、電気も水も止まり、砲弾が飛び交い、交差点を渡るのにも狙撃に怯えなければならない極限状態のなかで、チェリストの弾く〈アルビノーニのアダージョ〉に出会う。

〈アルビノーニのアダージョ〉は悲しい旋律の曲だけれど、作中人物が「悲しい曲だけど、聴いて悲しくなるわけではない」と言っているように、この曲が流れるときに人びとの心に生まれる感情は、けっして悲しみではない。チェリストの音色から生まれるのは、極限の暮らしのなかで失われかけていた、生きる幸せや希望や人間らしさだ。亡くなった人を悼む以上に、生きている者のぎりぎりで崩れそうな心を支える力を持っている。

チェリストの弾く〈アルビノーニのアダージョ〉に触れ、ある者は同じアパートに住む偏屈な老女に水を運び、ある者は民間人を撃つことを拒み、ある者は狙撃される危険をおかして交差点に放置されたままの死体を移動させる。

その行動のひとつひとつは、大局から見ればどれもごく些細なことかもしれない。それで戦争が終わるわけでもないし、平穏な生活が約束されるわけでもない。乾燥した砂漠に落ちた一滴の水くらいの力しかないかもしれない。それでも、そのひとつひとつが集まって大きな流れになり、いつかはそれが大地を潤すのではないか。そんな希望を抱きたくなる小説だった。

これを書いているいまも、〈アルビノーニのアダージョ〉が頭のなかで響いている。チェリストが最後に流した涙が、二度と流されることのない世界を心から望む。
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by csiumd | 2009-02-18 14:46 |

神器――軍艦「橿原」殺人事件

ずいぶんと久しぶりのような気がする奥泉光の新作『神器――軍艦「橿原」殺人事件』(上、下巻)。『グランド・ミステリー』と『浪漫的な行軍の記録』を合わせてスケールアップさせたような内容。この人の小説ではおなじみのロンギヌス物質なんかも登場し、雨宮博士の名前もちらっと出てくる。奥泉光独特のユーモラスな語り口も楽しめるし、これまでの集大成的な大作という印象を受ける、たいへん読みごたえのある作品だった。

時は太平洋戦争末期、軍艦「橿原」で起きた殺人事件をめぐる物語。ミステリー好きの上等水兵の一人称で語られる序盤は、ところどころで妙な雰囲気がまぎれこんでいるものの、おおむね軍記仕立てのミステリーといったおもむきで進んでいく。

ところが上巻の後半、ドッペルゲンガーやら鼠になった人間やらが出てくるあたりからおかしくなりはじめて、下巻の終盤はもう完全に狂気とカオスの坩堝。ミステリーだと思って読んでいたら、いつのまにか周囲の世界が崩れて、気がついたらひずみに引きずりこまれていた、という感じだ。

序盤の「殺人事件」の謎解きは、終盤の混乱のなかでいちおう提示されるのだが、謎が解けた爽快感はまったくない。というのも、それを取り巻くカオスがあまりにも大きすぎて、もはやそんな瑣末な「謎」など問題ではなくなってしまうからなのだが、そこがとてもおもしろいし、すごいと思う。

「橿原」は最終的に狂気とカオスに飲みこまれるわけだが、それをしょせんフィクションだと言いきれないのがおそろしい。まるで、いまの日本が「橿原」で、破滅に向かって海原をひたすら進んでいるような錯覚に陥る。読んでいるあいだは、複雑にねじれる展開についていくのが精一杯であまり考えをめぐらせる余裕もないのだが、読み終わってからふと反芻したときに、第2次大戦の犠牲の意味とかいまの日本の姿とか集団の狂気とか、そんなことを考えさせられる。

物語はクライマックスで狂気をきわめた感があるのだけども、それでも「生き残る者たち」と題されたエピローグには希望が残されている。雲間から一条の光が差すようなこの幕切れは、とても深く心に響く。ああ、読んでよかった、と思わせるラストシーンだった。
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by csiumd | 2009-02-05 15:57 |