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われらが歌う時

リチャード・パワーズの『われらが歌う時』。今年の個人的ベスト作品の有力候補になりそうな小説だった。上下巻合わせて1000ページを超える超大作。しかも、長いだけじゃなくて密度も相当に濃い。でも、パワーズの小説としては読みやすい部類に入るのではないだろうか。

例のごとくかなり複雑で、ひとことで説明するのは難しいのだが、物理学的な「時間」と音楽を横糸に、人種差別問題を縦糸にして織られた壮大なタペストリー、といったところ。米国に亡命してきたユダヤ人物理学者の父デイヴィッド、すばらしい歌声を持つ黒人の母ディーリア、天才的なテノール歌手となる長男のジョナ、この物語の語り手で、ピアニストとして兄の支えとなる次男のジョセフ、白人の父に反発して黒人過激派運動に身を投じる末娘のルース、という家族5人の物語だ。

この小説は、時間軸のちがう2つの物語が交互に語られる構成になっている。1つ目は、あるコンサートをきっかけにデイヴィッドとディーリアが出会い、結婚して人種差別の壁に直面する両親の物語。2つ目が、母ディーリアの死をきっかけにばらばらになっていく兄妹たちの物語。一見すると別々に進行していく2つの物語だが、過去のイメージがふと出てきたり、逆に未来のイメージが過去に忍びこんだりする。このイメージの交錯と、物理学者のデイヴィッドが語る時間の秘密や、ジョセフがたびたび言及する、どこか時間の流れにも似た音楽の構造があいまって、なんとも不思議な感覚が生まれている。

この小説の大きなテーマになっているのが、米国の人種差別問題。少し前に、バラク・オバマを猿に見立てた日本のCMが人種差別的だと騒ぎになったときには、ちょっと過剰反応ではないかと思ったのだが、とんでもなかった。この小説を読むと、過剰にならざるをえない経緯がいやというほどわかる。なにしろほんの数十年前までは、黒人と白人の結婚は州によっては窃盗よりも重罪で、白人の居住地域を黒人が歩いているだけで通報されていたのだから。あの過剰とも思える反応は、いまでもその差別が消えていないという証なのだろう。

もうひとつの大きな要素が音楽だ。私は音楽の持つ力を信じているが、そんなのは所詮きれいごとにすぎないのかもしれないと思うこともある。「同胞が食いはぐれていて、法の保護さえ得られないような状況で、どうして音楽をのうのうとやっていられるのか?」というルースの言葉は、かなりグサリとくる。それでも、ジョセフが学校の子どもたちと奏でる歌を聴くと(もちろん実際に聴こえるわけではないが)、やっぱり音楽の力を信じたい気もちになる。

人種差別という大きな問題と、音楽、そして時間が複雑に絡みあいながら、物語はある一点へ向かって進んでいく。過去と未来がつながる終幕には、比喩ではなく鳥肌がたった。いつかもういちど読み返したい。これだけの長さを再読するのはそうとう骨が折れるが、一度目とはまた違うものが見えるのではないかと思う。
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by csiumd | 2008-08-25 19:13 |

宿屋めぐり

こちらも首を長くして待っていた、町田康の新作長編『宿屋めぐり』。「また、どえらい小説書いてきたな」という感想に尽きる。

先日読んだ『四人の兵士』とは反対の方向へ突き抜けている小説だ。『宿屋めぐり』の語り手は、それはもう饒舌にべらべらべらべらとよく語る。しかし、あれほど饒舌に語っているにもかかわらず、というか、饒舌に語れば語るほど、何が嘘で何が真実かが見えなくなっていき(何もかも嘘に思えてくる、と言うべきか)、周囲とのコミュニケーションもどんどん断絶していくところがおもしろい。しかも、そんなふうに口先ばっかりでべらべらしゃべっているようでいながら、実は世間や自分自身の偽善がこれでもかというほど容赦なく暴かれていく、というところが、さらにおもしろいと思う。

主の命を受けて大権現に太刀を奉納するべく旅をする鋤名彦名が、いろいろとたいへんな目(たいへんどころではないかもしれない)に遭う、というのが、この小説のおおまかな筋。鋤名彦名はその道中、ことあるごとに「主はああ言っていた」「主は誰々にこんな制裁を下した」と回想し、みずからの行為を省みたり、できごとの意味を探ったりする。ここで鋤名彦名が言う「主」からは、キリスト教的な「主」が容易に連想される。「善行はこっそりおこなえ」とか「光にいたる道は狭い」とか、いかにもそれらしいことを言ってるし。

ところがこの「主」という人がまた曲者で、ありがたそうな立派なことを言うかと思えば、極悪非道な残虐行為も平気でする。たこ焼きのくだりなんて、残酷きわまりない。もっとも、聖書に出てくる「主」も相当無茶なことをしているので、そう考えると聖書を正しく踏んでいると言えないこともないのかもしれない。町田康的に聖書を語り直したら、こんな感じになるのだろうか。しかし、結局のところ「主」とは何者なのかは、最後までわからない。というか、最後の最後でわからなくなる。一筋縄ではいかない小説だ。

それにしても、町田康の言語感覚って、いったいどうなっているのだろうか。なにからなにまで鍋にぶちこんでごった煮にしたような文章もすごいが、「卵家ポロワ」とか「酒坂石ヌ」(これなんて読むの?「ヌ」ってなによ?)とかいう人名は何をどうしたら出てくるのか。いちど頭のなかを覗いてみたいものだ。
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by csiumd | 2008-08-18 16:11 |

四人の兵士

首を長くして待っていたユベール・マンガレリの新刊『四人の兵士』。とてもよかった。胸の深いところに残るすばらしい小説だった。

『おわりの雪』と『しずかに流れる緑の川』はどちらも父と息子の物語だったが、今回は東欧から敗走する赤軍の兵士4人の物語。それでも、訥々とした静かな語りのなかに張りつめた感情が凝縮されているところは、今作でも変わらない。

物語は4人が連れになるところからはじまる。創意工夫の得意なパヴェル。力持ちで単純なキャビン。もの静かでやさしいシフラ。そして語り手のベニヤ。4人とも個性的で、愛さずにはいられない人たちだ。

所属する部隊が森のなかで春を待つことになり、4人はあの手この手で極寒の冬を乗り越える。4人だけの秘密の沼を見つけて、毛布を洗濯したり、魚をつまえたり。冗談を言いあったり、賭け事をしたり。ときおり隠し切れない不安が顔をのぞかせるが、その生活は軍隊だということをうっかり忘れそうになるくらい、平穏で満ち足りている。

その平穏な生活も、出発命令が出たことで一気に崩れ、物語は結末に向かって否応なしに押し流されていく。それまでが穏やかだったぶん、どうにも抗えない流れに飲みこまれていくような終盤の展開は圧倒的だった。

何度も「ずっと一緒にいられるか」と確認するキャビン。隊に戻らず沼に残ろうと言い出すパヴェル。何も言わずにただみんなを見つめるシフラ。静かで控えめなベニヤの語りのなかにそれぞれの心情が浮かびあがり、息が苦しくなるような切実さで迫ってきた。

「空は果てしなく、言葉にできない」。物語の最後のモノローグで、ベニヤは丘の斜面に立って空を見上げながらそう語る。その言葉にできないものを、余分なものを削ぎ落とした言葉でこれほどあざやかに描くマンガレリは、ほんとうに稀有な作家だと思う。まだ翻訳されていない作品の出版を心から願う。
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by csiumd | 2008-08-08 13:46 |

ボローニャ国際絵本原画展

板橋区立美術館で開催されている『2008イタリア・ボローニャ国際絵本原画展』を観にいった。

この展覧会は、ボローニャで毎年開催される絵本原画コンクールの入選作品を展示するもの。キュートなのものからシュールなもの、ちょっとグロテスクなものまで、バラエティに富んだ原画がずらりと並んでいて、とっても楽しい。

原画は5枚1組で展示されていて、簡単な説明が添えられているだけだから、実際の絵本がどんなものなのかは勝手に想像するしかないが、それもまた楽しい。お昼すぎに入館して、気づいたらもう夕方。数時間があっというまにすぎていた。

ミュージアムショップで受賞作家の絵本や各国の絵本が売っていたので、選びに選んで気に入った2冊を購入した。

1冊目は、カラフルな版画がキュートなFranziska Neubert画の『Si polis et tout et tout』。イラストレーターはドイツ人だけど、絵本自体はたぶんフランス語。なのでまったく読めないが、おそらくおてんば娘がやんちゃをする話だろうと推察される。

もう1冊は、イランの絵本。こちらは読めないどころか、アラビア文字だからタイトルも書けない。そのうえ絵も抽象的なので、上の本よりもさらにわからない。キツネ(たぶん。定かではない)が自転車に乗って冒険する話……のような気がする。森とか草原とか街の風景が装飾的で、とても美しい。意識していなかったが、これも版画だった。

もうひとり気になったのが、特別展示で紹介されていたアイナール・トゥルコウスキィという人。おそろしく細密な鉛筆画で、独特のノスタルジックな雰囲気がある。もっとじっくり見たかったが、この人の絵本は日本語訳も出版されているようなので、ここじゃなくても手に入るだろうと思ってひとまず置いてきた。こんど本屋で探してみたい。
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by csiumd | 2008-08-02 14:54 | アート