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レ・ミゼラブル

ミュージカルの『レ・ミゼラブル』。小学生のころ、あまりにも『ああ無情』にはまっていた私に呆れた母に連れていってもらって以来、2、3回は見ているような気がするが、今年は日本初演20周年ということなので、せっかくだからもう一度観にいくことにした。

だいぶ駆け足(というか猛ダッシュ)の感はあるものの、あの長大な小説を一晩で演じられる長さにまとめたのは、それだけでもたいしたものだし、舞台装置はくるくる回って楽しいし、音楽もいいし、役者たちの歌も迫力あるし、つくづくよくできたミュージカルだと思う。

ただ、いつもなんとなく腑に落ちないのは、ラストのジャン・バルジャンが息を引き取るシーン。ここで、ファンティーヌはともかく、エポニーヌが出てくる必然性がどうもわからない。エポニーヌも「哀れな人」のひとりだから? でもそれを言ったら、ジャベールだってガブローシュだってグランテールだって、みんな「哀れな人」だ。

話はそれるが、この小説をはじめて読んだときから、ジャベールが哀れで哀れでたまらなかった。私は警察というものが全般的にあまり好きではないので、ジャベールのようないかにも警官然とした登場人物に肩入れすることはめったにない。にもかかわらず、なぜかジャベールが気になって仕方がない。あんたまちがってないよ! なにも死ぬことないよ! と言ってやりたくなる。まあ、そんなこと言ったところで聞く耳持たないだろうけどさ、ああいう人は……

それはともかく、話をラストの場面に戻す。私としては、死んでゆくジャン・バルジャンを迎えに来るのは、ファンティーヌでもエポニーヌでもなく、ミリエル司教であってほしい。小説の臨終場面には、最期が近いことを悟って「司祭さまを呼びましょうか?」と訊く医者に、ジャン・バルジャンが宙を見つめながら「もう来ています」と答えるくだりがある。ここは『レ・ミゼラブル』のなかでも一、二を争うくらい好きなところで、いつもつい泣いてしまうポイントでもある。ほんとに、ここは何度読んでも胸にくる。

ジャン・バルジャンは、ほんとうにほんとうにつらい人生を送ってきた。だからせめて最期に、夢でも幻でもいいから、ほかならぬミリエル司教の口から「あなたは立派に生きた」と言ってあげてほしい。それくらいの救いはあってもいいんじゃないかと思うのだけど、それって甘すぎるだろうか?

……というようなことを考えていたら、久しぶりに『レ・ミゼラブル』を通しで読みたくなった。長いうえに回りくどいから、読む時間と気力を捻りだすのにけっこう苦労するのだけど、それだけの価値はある小説だと思う。
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by csiumd | 2007-06-28 14:08 | 芝居

双生児

クリストファー・プリーストの『双生児』。手の込んだ話が読みたい、という期待に申し分なく応えてくれる小説。

歴史作家のスチュワート・グラットンが、J・L・ソウヤーという人物の手記を手に入れるところから物語ははじまる。このソウヤーという男は、第二次大戦中、英国空軍のパイロットであると同時に、良心的兵役拒否者でもあったという。はたしてそんなことが可能なのか?――というのが導入部。

その後、まずはJ・L・ソウヤーの手記という形式で当時の出来事が語られていく。この手記のなかで、J・L・ソウヤーが実は一卵性双生児だということが明らかになる。しかも、名まえはジャックとジョーで、どちらもイニシャルはJ・L。これだけでも混乱しないはずはないという道具立てだが、この小説の混乱はそんな生易しいものにはとどまらない。

ジャックの手記に続いて、J・L・ソウヤーと同じ爆撃機に乗っていた航法士の手記、もうひとりのJ・L・ソウヤーの日記、ジョーの妻ビルギットらの手紙、当時を物語る資料や文献などで、背景が次々と明かされていくのだが、いろいろなことが明らかになればなるほど、ふたりのJ・L・ソウヤーがいったい何者で、彼らのまわりで何が起きていたのか、わからなくなっていく。

おまけに、J・L・ソウヤーという個人の矛盾だけでなく、この小説の「歴史」と自分の知っている現実の「歴史」との矛盾までがだんだんと見えてきて、なにが現実でなにがそうでないのかがあやふやになっていく。まさに読めば読むほどわからなくなるという、おそろしく人が悪いがものすごく読みごたえのある小説だ。

舞台が第二次大戦で、歴史が妙な具合に歪んでいて、ところどころで文献という形式を使って背景を明かす――という構成は、あとがきにもあるように、奥泉光の『グランド・ミステリー』に似ている。『グランド・ミステリー』が強烈な印象を受けたお気に入りの作品だけに、よけいにそう感じるのかもしれない。ただ、『グランド・ミステリー』の歪みが身体感覚を惑わすたぐいのものだったのに対して(実際、読んでいるときに比喩ではなく眩暈がしたのを覚えている)、『双生児』の歪みはもっとトリッキーというか、知的な仕掛けのような印象を受けた。

『双生児』の世界に見られる歴史の歪みは、じつは物語のかなり最初のうちから、ちょくちょく顔を出している。でも、うっかりしていると、あまり深く考えずに流してしまうくらいのさりげなさ。実際、読みすすめているうちにハッと気づき、前の部分を確認して「これか!」と思うことがけっこうあった。このへんの伏線の張り具合が、とてもうまいと思う。

もっとも、第二次大戦のころの歴史に精通している人とか、そうでなくても注意深く読み込む人なら、もっとすぐに気づくのかもしれない。結末を踏まえたうえで読み返せば、さらにいろいろなことが見えてきそうだ。いずれ再読してみたい作品。
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by csiumd | 2007-06-14 20:46 |

グッド・オーメンズ

ひさしぶりに本屋をゆっくり見てまわったら、おもしろそうな本が山ほどあった。ここしばらく忙しくて本屋を散策するヒマを取れずにいたら、気づかないうちにいろいろ出ていたらしい。しかし、気になった本を全部買ったら軽く二万円は越えそうだったので、涙をのんで数冊にしぼりこんだ。

涙をのんで、なんて言ったものの、あれこれと吟味して欲しい本のなかから買う本を選ぶ作業というのは、実は大好きだったりする。食べ物のおいしい居酒屋で注文する品を選ぶのと同じくらい楽しい。

それはさておき、しぼりこんだ4冊のうちの2冊を占めたのが、ニール・ゲイマン/テリー・プラチェットの『グッド・オーメンズ』上下巻。これはすごくおもしろかった。すごく笑える。

ハルマゲドンの実現をもくろむ魔王の命を受けた悪魔のクローリーが、「サタンの息子」(『オーメン』で言うところのダミアン)を人間の赤ん坊とすりかえるところから物語ははじまる。ところが、ちょっとした手ちがいから、予定とはちがう赤ん坊とすりかえてしまう。数年後、まちがいに気づいたクローリーは、長年のライバルで奇妙な同盟関係を結んでいる天使のアジラフェールと協力して、本物の「サタンの息子」を探しはじめる――というのが、おもなあらすじ。

キリスト教の天使と悪魔というと、絶対的な善と悪として描かれるのが定番だけど、そうそう一筋縄ではいかないのがこの小説のおもしろいところ。この話に出てくる天使と悪魔は、どちらもやたらと人間くさいし、両者の境というか、勢力範囲がものすごくあいまいだ。たとえば、クローリーは「駐車違反の取締り」を天国側の創作物だと思っているが、アジラフェールのほうは悪魔がつくったものだと思っている、という具合。

この天使と悪魔以外にも、「サタンの息子」とその遊び仲間の悪ガキ連中とか、現代に生き残る魔女狩り人のじいさんとか、稀代の予言者の子孫とか、おもしろい登場人物(人間以外も含む)が目白押し。

ストーリー展開もテンポが良くて引き込まれるし、ほとんど1ページにひとつの割合で笑えるところがあるし、まさに極上のエンターテイメント。帯に「だまされたと思って読め」という主旨の煽り文句があったけど、ほんと、だまされてよかった~! と帯作成者に感謝を奉げたくなる小説だった。
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by csiumd | 2007-06-06 11:23 |