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モモちゃんとアカネちゃん

久しぶりに実家に帰ったら、居間の片隅に「子ども文庫」なるスペースがつくられていた。3歳になる甥っ子のために、家じゅうの絵本や児童書を一か所に集めたらしい。

そのなかに、小さいころに愛読していた松谷みよ子の『モモちゃんとアカネちゃん』シリーズを見つけた。わあ懐かしい、と思ってぱらぱらとめくっていたら、すっかり夢中になって、結局ぜんぶ読んでしまった。

自分が二人姉妹の次女ということもあって、子どものころは完全にアカネちゃんに肩入れして読んでいたけれど、いま読み返してみると、モモちゃんもアカネちゃんも等しく愛おしい。このへんの感じ方の変化は、私も少しはおとなになったということなのだろうか。

でも、変わらないこともある。

『アカネちゃんとお客さんのパパ』の最後のほうに、「人間は死んだらどうなるの?」とモモちゃんに聞かれて、おじいちゃんが自分の臨死体験を話すくだりがある。

そのときおじいちゃんは、ふわふわと空をとんで、真っ赤な花が咲いたさるすべりの木のてっぺんに座っていた。そしたら、お寺の和尚さんに「まだ早い」と呼び戻されたらしい。とってもいいきもちだった、とおじいちゃんは言う。いつかモモちゃんが死んだら、モモちゃんも花の上に座れるよ、と。

そのページの挿絵では、幸せそうな顔をしたおじいちゃんが、大きな木のてっぺんにちょこんと座っている。

子どものころ、このさるすべりの話と挿絵がとにかく好きで、ここばっかり何度も繰り返し読んだ記憶があるけれど、いまでもいちばん琴線に触れるのは、やっぱりこのくだりだった。こういう好みって、ごく幼いころにできあがるものなのかもしれない。

改めて『モモちゃんとアカネちゃん』シリーズを読んで気づいたのは、このさるすべりの話もそうだけど、おおらかで楽しいトーンのなかに、死とか離婚とか、いわば負の要素がかなりたくさん紛れこんでいるということ。

たとえば、ママのもとに死神が現れて、離婚したパパの健康について警告するところ。「もういっぺん、面倒を見る当番をやるかね?」てなことを訊ねる死神に、ママは「もうわたしの番は終わったの」と答える。このへんの内容は、よく考えたらかなり重い。

こういう要素を、子どものころの私がどこまで意識していたかはわからないけど、それは子ども向けの本にこそ必要なものだと思う。だって現実の世界って、けっして明るく楽しいだけのものではないのだから。

『モモちゃんとアカネちゃん』シリーズは、そういう陰の部分もひっくるめたほんとうの世界を、でもあたたかく楽しく伝えている。こういう本が、いつまでも読み継がれていくことを祈りたい。
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by csiumd | 2006-11-27 19:41 |

茂田井武展

ちひろ美術館で開催中の茂田井武展に行った。

茂田井武の絵は、見ていると幸せな気分になる。大好きだ。

今回の展示作品のなかで印象に残ってるのは、『ヘンゼルとグレーテル』の絵。お菓子の家を見つけてうっきうきの兄妹に、思わず顔がほころんでしまう。持って帰りたくなった。

あと、『エーミールと探偵たち』の挿絵。子どもたちがベルリンの街をぞろぞろ歩いているところ。この本は結局、未完だったらしい。残念だ。茂田井武の挿絵で読むエーミールなんて、想像しただけでも楽しそうなのに。

茂田井武が長女のためにつくった絵本も展示されていた。茂田井武に手ずから絵本をつくってもらえるなんて、なんとうらやましい。私も茂田井武の娘に生まれたかった。

ちひろ美術館に行くのは今回が初めて。とても雰囲気のいい美術館だった。いわさきちひろの絵は、特別に好きというわけではなかったのだけれど、この美術館をぐるりと見終わるころには、すっかりとりこになっていた。原画の力のなせるわざ? それとも数の勝利か?

あやうく、いわさきちひろの絵本をどっさり買って帰りそうになったけれど、今回のメインは茂田井武だったので、なんとか思いとどまった。どのみち、そのうちに買ってしまうのだろうけど。
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by csiumd | 2006-11-22 21:43 | アート

シラノ・ド・ベルジュラック

文学座の『シラノ・ド・ベルジュラック』を観た。

『シラノ~』は、この話を題材にしたものとかパロディとかをあちこちで目にするので、筋だけはぼんやりと知っていたけれど、せっかくの機会なのでちゃんと観てみようと思ったのだ。

恋敵のラブレターを代筆して、報われない恋に苦しむ醜い男の哀れな物語……というのが私の理解していた『シラノ~』のおおよその筋。けど、この芝居を観たら、この状況って、シラノよりもクリスチャンのほうがみじめなんじゃないの? という気がした。「美男子」という設定のわりに、クリスチャンがいかにもお人好しっぽい顔をしてたから、そう感じるだけか?

だいたいロクサーヌって、なんてひどい女なんだ。やたらと美辞麗句を求めるのもどうかと思うけど、クリスチャンの辞世の手紙が実はシラノの書いたものだったと知ったときの「この手紙はクリスチャンとはなんの縁もない」という主旨の発言は、あまりにひどい。それじゃクリスチャンが哀れすぎる。でも、ふたりがかりで騙され続けたロクサーヌも、よく考えたらけっこう哀れだ。あまり責められないかもしれない。

それにしてもこの芝居、古典だと思って油断(?)していたら、ものすごくおもしろかった。そりゃ、おもしろくなきゃ現代までなんて残らないだろうから、当然と言えば当然なんだろうけど。

余談だが、この日はじめて、「北千住」の読みが「きたせんじゅ」だったことを知った。なんでわざわざ「じゅ」で止めるのさ。だから「きたせんじゅう」で一発変換できなかったのか……。ちょっとした衝撃だった。
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by csiumd | 2006-11-17 19:58 | 芝居