<   2006年 07月 ( 1 )   > この月の画像一覧

夢の痂

井上ひさしの東京裁判三部作の三作目『夢の痂』。

戦争責任がうやむやになった原因を日本語の文法から読み解く、という変わった切り口。変わっているのに、すごくわかりやすいし、説得力がある。すとんと腑に落ちた。

日本語には「主語」が少ない。これは翻訳をしていると、実感としてものすごく感じる。日本文にするときには、英文にある主語の大部分を省略しないと、やたらとうるさい日本語になってしまう。

日本語は主語を省略しても、たいていは意味が通じる。言ってみれば、主語、つまり「私」をうまいこと隠す仕組みがあるわけだ。

で、どこに隠れるのかというと、それは「状況」のなか。そのときどきの「状況」が主語となり、「主語」=「述語の責任を負うべき者」が曖昧になってしまう、ということなのだろう(と思う。まだ考えが整理できてない)。

東京裁判では、戦中に「主語」だった者の罪が問われなかったために、「主語」に隠れていた個々の「私」も責任を取らないまま、一億総責任逃れみたいな状態になってしまった。

この「状況」に「私」が隠れるという傾向は、なにも60年まえに限ったことではなく、いまにいたるまで変わっていない気がする。それが日本語(日本人)の特性だから仕方ない、と言ってしまえばそれまでだけど、これでまたいろいろなことがうやむやになって、かつてのような恐ろしい事態にならないともかぎらない――とまあ、そんなことをあれこれ考えさせられる芝居だった。

それにしても、角野卓造、最高。徳次が天皇になりきるところとか、おもしろすぎる。この三部作を見るまでは、渡る世間の人、くらいの認識しかなかったけど、ここ数年、私のなかで猛烈な角野卓造ウェーブが来ている。今後も要注目。
[PR]
by csiumd | 2006-07-12 19:24 | 芝居