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マッチラベル

小川洋子の『ミーナの行進』ではマッチ箱が大切な要素になっていたが、タイミングのいいことに、近所の古本屋で『大正・昭和のマッチラベル』という本を見つけた。

察するに、この本屋の誰かが『ミーナの行進』を読んで、「これは売れるかも!」と思ったのではないか。だって、いちばん目立つところに、しかも面出しして並べてあったから。まんまと釣られるのもシャクにさわる気がしたが、おもしろそうだったので結局買うことにした。

ぱらぱらとページを繰っていくと、あんな小さい箱によくもまあここまで、と思うほど、いろんなデザインがある。あと、絵柄が楽しいのはもちろんのこと、店名とか宣伝文句もまたおもしろい。

たとえば、あるキャバレーのマッチ箱のラベル。たおやかな和装の美人(だと思う。遠目なのでよくわからない)が少しだけ開いたドアの陰から、「ないしょでまたきてね」なんて言ってるやつとか。こんなもの持って帰って妻にでも見つかった日には、かえって内緒でまた行きにくくなるような気はするが。

マッチといえば喫茶店とか飲み屋というイメージがあるけど、この本を見ていると、商品を宣伝するマッチラベルもけっこう多い。テレビもネットもなかった時代には、マッチ箱も重要な宣伝手段になっていたことがうかがえる。

が、お酒とか衣料品とかはまあわかるとしても、鶏の餌なんてマッチ箱で宣伝する効果があるのだろうか。マッチ箱を見て「おや、この餌いいね」と思う人が、はたしてどれくらいいるのか。謎だ。

私は煙草も吸わないし、蝋燭を焚く趣味もないから、マッチを使う機会はまったくないが、この本を見ていると、なんとなくマッチ箱を集めたくなってしまう。マッチ箱って、意外と奥が深い。
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by csiumd | 2006-05-16 19:52 |

青猫家族輾転録

待ってましたの伊井直行の新作『青猫家族輾転録』。仮に伊井直行という作家をまったく知らなかったとしても、タイトルだけで思わず買ってしまいそうなすばらしいネーミング。

ちなみにこのタイトルは、萩原朔太郎の詩『青猫』が由来らしい。不勉強なので、萩原朔太郎の詩は読んだことがないけど、作中に引用されている部分を読んだかぎりでは、けっこう好きかもしれない。

伊井直行に対してわたしが持っているイメージは、「平凡」だ。もちろん、「つまらない」という意味の平凡では、けっしてない。

この人の書く小説は、登場人物も全体的な雰囲気も、ひたすら平凡な感じがする。どの作品にもどこかしら奇妙な要素が入りこんでいて、妙な猿が活躍したり、奇怪な橋が出てきたりするけれど、そういう奇妙な要素が非凡な印象を生むことはなく、かえってどこにでもありそうな気がしてくるのが不思議なところ。

作家というのは普通ではなさそうな人が多いし、基本的にはそういう類の人がなる職業なんだろうと思うけど、伊井直行はあくまでも「平凡」に足を着けているように見える(本人がどんな人かは全然知らないけど)。

『青猫家族輾転録』も、出てくるエピソードといえば、リストラ、若者の不良化、友人の裏切り、家族の不和、死んでいく人、生まれてくる子ども――てな具合で、まあ言ってみれば、ごくありふれたもの。主人公のおじの異常な体験とか、多少変わった話は出てくるものの、基本的には平凡な生活が展開されている。

でも、その主人公たちの平凡な生活は、当人たちにとってはけっして平坦ではない。平坦ではないどころか、相当つらい思いをしている。考えてみればあたりまえのことなんだけど、それを上からでも下からでもなく同じ目線で、入れ込みすぎず、かといって冷めてるわけでもない程よい温度で書いた小説って、あまりないと思う。

欲を言えば、「僕」以外の人(おじさんとか、萩田とか)のことをもっと知りたい気もするけど、そういうなんとなく足りないところも含めて(というか、そういうところがあるからこそ)、この本はすごく正直で切実な感じがした。

50歳になったときに、もういちど読みたい本。
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by csiumd | 2006-05-05 20:41 |

わたしを離さないで

カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』。

1年くらいまえに読んだ本だけど、はやくも翻訳書が出ていたので、つい買ってしまった。もういちど読みたいと思っていたし、それなら日本語で読んだほうがラクだから。

この本を最初に読んだときには、ほんとうのことを知らない主人公たちよりもさらになんにも知らない状態で、「提供者ってなに?」とか「外の世界ってどういうこと?」とか言いながら、霧のなかを手探りで進む感じだった。読みすすめるにつれて明らかになっていく事実に、ときには頭をなぐられ、ときには背筋を凍らされた。

けど、いろいろなことを知ってからでは、読んでいるときの精神状態がずいぶんちがった。といっても、冷静に読めるというにはほど遠い。できごとや言葉の裏の意味が否応なく見えてしまうので、恐ろしさがいや増した。つらさのあまり目をそらしたいと思うこともたびたびだった。

でも、そういう「知らないことにしたい」みたいな感情が元凶のひとつだったりもするんだよな、なんて考えると、どんどんこの本の底なし沼にはまってしまう。

ほんとはもっといろいろ書きたいことがあるんだけど、これからこの本を読もうと思っている人が万が一このページに迷いこまないともかぎらないので、詳しいことは書けない。最初はなんにも知らない状態で読んだほうが、絶対におもしろいと思うから。

それにしても、通しで読むのは二度目で、しかも最初に読んでからあんまり経ってないから、細かい筋もはっきり覚えているというのに、ぐいぐい話のなかに引きずりこまれた。おそろしいほどの力。

前作『わたしたちが孤児だったころ』を読んだときには、この人の作品でこれよりも好きになる本はないかもしれないと思ったけど、カズオ・イシグロはわたしごときの予想だの好みだのはまったく及ばない次元にいる人だった。きっとまた、もっとすごい小説を書くんだろうな。

この人と同時代に生まれて、その進化をリアルタイムで見られるのは、とても幸せなことだと思う。
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by csiumd | 2006-05-01 20:38 |