フィリップ・クローデルが監督・脚本を手がけた『ずっとあなたを愛してる』。クローデルの小説に目がない者としては、見逃せない映画。期待以上に、すごくよかった。
15年の刑期を終えて出所したジュリエットが、妹家族の家に身をよせて、新しい人生を探りながら過去と向きあう……というのが、おおまかなストーリー。話が進んでいくにつれ、ジュリエットが少しずつ自分を開き、まわりの人たちを受け入れていく。それと同時に、ジュリエットが過去に犯した「罪」も少しずつ明らかになっていく。 このジュリエットの「罪」の是非は、見る人によって判断がわかれるのではないかと思う。過去のジュリエットが選んだ行動は、正しいとは言えないかもしれないが、少なくともその選択を責めることはできないと私は思った。 かなり重いテーマだが、静かに淡々と進んでいくせいか、それほど重い気がしない。しかも、余計な説明やセリフが極力省かれているので、登場人物たちの心の動きは、見る者の想像に委ねられている。押し付けがましくなくて、すごく心地いい。とくに、さっぱりとしていて、でも深い余韻を残す終わり方はすばらしかった。 クローデルの小説を愛好する者としては、このテーマで小説を1本書いてほしかったという気持ちもないではないが、最後のジュリエットの表情を見たら、やっぱり映画でよかったのかなと思った。生身の人間である役者の力を感じた。 こういうふうに、静かに胸にしみこんでくるような映画を、もっとたくさん見たいと思う。 #
by csiumd
| 2010-01-16 12:59
| 映画
ジョン・アーヴィングの『Last Night in Twisted River』。ここ数作のアーヴィングの小説のなかでいちばん好きだ。すごくおもしろかった。例のごとく長い本だけど、ぜんぜん長さを感じない。というか、もっと長くてもいい。読み終わるのがもったいなかった。
個人的には、アーヴィングの小説のいちばんの魅力は、登場人物たちだと思う。肉付けがうまいというか。ここ最近のアーヴィングの小説は、いまひとつ登場人物に肩入れできない作品が続いていたが、今作は登場人物たちが本領を発揮した。 主人公のダニエルはもちろん(というか、それ以上に)、父のドミニクとその友人ケッチャムの造形がいい。このふたり、すごく好きだ。とくにケッチャムなんて、現実の世界にいたらどう考えても苦手なタイプなのに(こんな人が実際にいたらたいへんだけど)、アーヴィングの手にかかると好きにならずにいられないのは、不思議としかいいようがない。アーヴィング・マジック、おそるべし。 ところで、この小説には「she bu de」という中国語が出てくる(漢字だとたぶん「舎不得」)。別れのときに使う言葉で、英語にすると「I can't bear to let go」というような意味らしい。日本語だと、「離れがたい」とか「手放しがたい」といったところか。この言葉が、いかにもアーヴィングらしい印象的な使われ方をしていて、私はここでまんまと泣かされてしまったわけだけど、あの場面でこの言葉とあのフライパンを出すのは、ほとんど反則技だと思う。ずるい。泣かないわけがない。 泣かされてしまったから言うわけではないが、アーヴィングの語りはほんとうにうまいと思う。作者の思惑どおりに笑って、ハラハラして、泣いた気がする。完全に作者の手のひらの上で転がされていた感じ。まあ、それが楽しいんだけど。ストーリーテラーとは、まさにこういう人のことを言うのだと思う。 こういうのを読むと、小説を好きでいてよかった、と思う。幸せ。 #
by csiumd
| 2010-01-10 16:54
| 本
スティーヴン・ギャロウェイの『サラエボのチェリスト』。心を深く揺さぶられる、ほんとうにすばらしい小説だった。
舞台はボスニア内戦時の包囲戦のさなかのサラエボ。パン屋の行列を襲った迫撃砲弾の犠牲になった22人のために22日間〈アルビノーニのアダージョ〉を弾きつづけるチェリストと、包囲されたサラエボの街で生きる男女3人の物語。 射撃の腕を買われて心ならずも防衛側の狙撃手になったアロー。家族のために遠方のビール工場まで水汲みに出かけるケナン。妻子を疎開させてひとりサラエボに残ったドラガン。それぞれの毎日を送る3人が、電気も水も止まり、砲弾が飛び交い、交差点を渡るのにも狙撃に怯えなければならない極限状態のなかで、チェリストの弾く〈アルビノーニのアダージョ〉に出会う。 〈アルビノーニのアダージョ〉は悲しい旋律の曲だけれど、作中人物が「悲しい曲だけど、聴いて悲しくなるわけではない」と言っているように、この曲が流れるときに人びとの心に生まれる感情は、けっして悲しみではない。チェリストの音色から生まれるのは、極限の暮らしのなかで失われかけていた、生きる幸せや希望や人間らしさだ。亡くなった人を悼む以上に、生きている者のぎりぎりで崩れそうな心を支える力を持っている。 チェリストの弾く〈アルビノーニのアダージョ〉に触れ、ある者は同じアパートに住む偏屈な老女に水を運び、ある者は民間人を撃つことを拒み、ある者は狙撃される危険をおかして交差点に放置されたままの死体を移動させる。 その行動のひとつひとつは、大局から見ればどれもごく些細なことかもしれない。それで戦争が終わるわけでもないし、平穏な生活が約束されるわけでもない。乾燥した砂漠に落ちた一滴の水くらいの力しかないかもしれない。それでも、そのひとつひとつが集まって大きな流れになり、いつかはそれが大地を潤すのではないか。そんな希望を抱きたくなる小説だった。 これを書いているいまも、〈アルビノーニのアダージョ〉が頭のなかで響いている。チェリストが最後に流した涙が、二度と流されることのない世界を心から望む。 #
by csiumd
| 2009-02-18 14:46
| 本
ずいぶんと久しぶりのような気がする奥泉光の新作『神器――軍艦「橿原」殺人事件』(上、下巻)。『グランド・ミステリー』と『浪漫的な行軍の記録』を合わせてスケールアップさせたような内容。この人の小説ではおなじみのロンギヌス物質なんかも登場し、雨宮博士の名前もちらっと出てくる。奥泉光独特のユーモラスな語り口も楽しめるし、これまでの集大成的な大作という印象を受ける、たいへん読みごたえのある作品だった。
時は太平洋戦争末期、軍艦「橿原」で起きた殺人事件をめぐる物語。ミステリー好きの上等水兵の一人称で語られる序盤は、ところどころで妙な雰囲気がまぎれこんでいるものの、おおむね軍記仕立てのミステリーといったおもむきで進んでいく。 ところが上巻の後半、ドッペルゲンガーやら鼠になった人間やらが出てくるあたりからおかしくなりはじめて、下巻の終盤はもう完全に狂気とカオスの坩堝。ミステリーだと思って読んでいたら、いつのまにか周囲の世界が崩れて、気がついたらひずみに引きずりこまれていた、という感じだ。 序盤の「殺人事件」の謎解きは、終盤の混乱のなかでいちおう提示されるのだが、謎が解けた爽快感はまったくない。というのも、それを取り巻くカオスがあまりにも大きすぎて、もはやそんな瑣末な「謎」など問題ではなくなってしまうからなのだが、そこがとてもおもしろいし、すごいと思う。 「橿原」は最終的に狂気とカオスに飲みこまれるわけだが、それをしょせんフィクションだと言いきれないのがおそろしい。まるで、いまの日本が「橿原」で、破滅に向かって海原をひたすら進んでいるような錯覚に陥る。読んでいるあいだは、複雑にねじれる展開についていくのが精一杯であまり考えをめぐらせる余裕もないのだが、読み終わってからふと反芻したときに、第2次大戦の犠牲の意味とかいまの日本の姿とか集団の狂気とか、そんなことを考えさせられる。 物語はクライマックスで狂気をきわめた感があるのだけども、それでも「生き残る者たち」と題されたエピローグには希望が残されている。雲間から一条の光が差すようなこの幕切れは、とても深く心に響く。ああ、読んでよかった、と思わせるラストシーンだった。 #
by csiumd
| 2009-02-05 15:57
| 本
角田光代の『森に眠る魚』。『八日目の蝉』に劣らぬ傑作だと思う。
幼い子どもを育てる5人の母親たちの物語。なんの変哲もない、仲の良い「ママ友」たちの関係が、「お受験」をめぐる憶測やちょっとした誤解、ものの見方の相違により、少しずつ変質し、歪んでいき、やがて……という話。 ちょっとしたことが少しずつ積み重なっていき、後半になって一気に崩れていく展開は見事だった。とくに、手に汗握るクライマックスの凄みは圧巻。息をするのも忘れる、という感覚をひさびさに味わった。 裕福な暮らしを手に入れた千花にしろ、理解ある夫のいる瞳にしろ、この小説に出てくる母親たちは、客観的に見れば5人ともけっして不幸ではないと思う。それぞれ悩みや心の傷はあるが、そんなのは誰にでもあるものだし。不幸ではないはずなのに幸せになれない、しかもそれがなぜなのか自分ではわからない。そういう正体不明の曖昧な焦燥が、やけにリアルで身につまされる話だった。 角田光代の小説を読むと、人と人とはけっしてわかりあえないものなのだと感じることが多い。そのうえ、できれば目を逸らしたい醜い部分を容赦なくつきつけてくる、けっこう恐ろしい小説でもある。そんなふうにかなりシビアで残酷な内容なのに、全体としてはどうにかプラスの方向をむいているのが、この人の小説のおもしろいところで、個人的にも好きなところであると思う。 今作は幼い子どもの母親たちが主人公だったが、私には子育ての経験はないので、登場人物たちの悩みや葛藤をわりと客観的に見ていた部分もある。実際に子どもがいる母親たちは、この本を読んでどんな感想を持つのだろうか。ぜひともきいてみたいところだ。 #
by csiumd
| 2009-01-05 19:11
| 本
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